おかえり様のいる村

おかえり様のいる村

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Produced byこめ
ホラー和風怪異マルチエンド女性主人公
20歳になったばかりの灯花は、どこにも居場所を見つけられずにいた。 大学受験に失敗し、フリーターとして日々を過ごし、友人たちは眩しいキャンパスライフを送っている。 実家にも、ひとり暮らしの部屋にも、アルバイト先にも、心から「帰りたい」と思える場所はない。 ある日、灯花は誰にも行き先を告げず、帰るつもりのないまま山へ入る。 そこで辿り着いたのは、霧に包まれた地図にない集落。 そこでは、迷い人を「おかえり」と迎える風習があった。 しかし、迎え人・閂は灯花に忠告する。 誰かに「おかえり」と言われても、 「ただいま」とは返さないでください。 優しく迎えてくれる村。 自分の名前を知っている人々。 最初から用意されていた自分の茶碗。 そして、帰る場所を失った者を迎える神――おかえり様。 ここにいれば、もう比べられない。 急かされない。 何者にもならなくていい。 けれど、その優しさは本当に救いなのか。 それとも、自分の輪郭を手放していくことなのか。 灯花は、霧の集落で自分の帰る場所を選ぶことになる。

登場キャラクター

閂

閂

霧の集落で迷い人を迎える存在。おかえり様に仕える二十四代目の迎え人であり、灯花を村へ案内する。穏やかで礼儀正しいが、どこか人ならざる気配をまとう。灯花に告げる忠告はひとつだけ。「“おかえり”と言われても、“ただいま”とは返してはいけない」

おかえり様

おかえり様

霧の集落に祀られる神様。帰る場所を失った者を見つけ、優しく迎え入れる。決まった姿を持たず、見る者が最も「帰りたい」と願うものの姿で現れる。灯花には、白髪で顔を布に覆った麗人の姿に見えている。

志乃ばあ

志乃ばあ

霧の集落に暮らす87歳の老婆。白髪をきちんとまとめ、年老いてなお背筋は伸び、足取りはゆっくりでも迷いがない。灯花に食事と寝床を用意する、優しさと善意の人。

ミチ

ミチ

霧の集落に暮らす8歳の少女。ふたつみつあみに、くまさんのヘアピンをつけている。明るく人懐っこく、灯花を「灯花お姉ちゃん」と呼んで慕う。おかえり様を心から信じており、「おかえり様がいるから大丈夫」と迷いなく言う。

直

直

霧の集落に留まっている27歳の元迷い人。銀縁の丸メガネに、襟元を開けたスタンドカラーシャツを着ている。外の記憶は曖昧で、どこかぼんやりとしているが、本人はそれを不幸だとは思っていない。

ストーリーのはじまり

灯花は、誰にも行き先を告げずに山へ入った。リュックの中に入っているのは、財布とスマホと、飲みかけのペットボトル。 着替えも、地図も、懐中電灯もない。 帰る準備なんて、最初からしていなかった。 山道は、思っていたよりも静かだった。 木々のあいだから差し込む光は白く濁り、足元の土は湿っている。 どこかで鳥が鳴いた気がしたけれど、その声もすぐに霧に吸い込まれていった。 灯花は何度かスマホを見た。 圏外。 画面の右上に表示されたその二文字を見ても、不思議と焦りは湧かなかった。 むしろ、少しだけほっとした。 誰とも繋がらなくていい。 誰からも呼ばれなくていい。 誰にも、見つけられなくていい。 そう思ったはずなのに。 霧が濃くなるにつれて、灯花の足取りは少しずつ乱れていった。 さっきもこの曲がった木を見た気がする。 この石段は、登ったはずだった。 下っていたつもりなのに、また同じ場所へ戻っている。 来た道が分からない。 帰るつもりなんてなかった。 それなのに、本当に帰れないかもしれないと思った瞬間、胸の奥が冷たく縮んだ。 灯花は立ち止まる。 息が白く滲む。 「……どこ、ここ」 声に出しても、返事はない。

やがて霧の奥に、古い屋根の影が見えた。 近づくと、それは朽ちかけたバス停だった。 木製のベンチは雨を吸って黒ずみ、屋根の端には苔が生えている。 時刻表はない。 路線図もない。 行き先を書いた看板も、どこにも見当たらない。 ただ、そこだけが霧の中でぽつんと息をしているようだった。 灯花がベンチの前で立ち尽くしていると、霧の奥から低いエンジン音が聞こえてきた。 バスだ。 いつの間に現れたのか、古びた車体が灯花の前で静かに止まる。 ヘッドライトが霧に滲み、扉がゆっくりと開いた。 行き先表示には、たった一言だけ浮かんでいる。 「帰り」 灯花は、その文字を見つめた。

帰り。 何へ。 どこへ。 誰のもとへ。 帰るつもりなんて、なかったはずなのに。

その時、霧の向こうに白い影が立った。 白い髪。 顔を覆う薄い布。 人のようで、人ではないほど静かな姿。 灯花は声を出せなかった。 白い影は、まるで最初から灯花がそこに来ることを知っていたように、ゆっくりと首を傾ける。

おかえり様
おかえり様

おや。この姿のワタシが、見えているんだね

その声は優しかった。 優しすぎて、逃げ出したくなるほどだった。 灯花が後ずさろうとした瞬間、ちりん、と鈴の音が鳴った。

霧の中から、もうひとり現れる。 黒い装束。 苔色の短い髪。 赤い紐に結ばれた小さな鈴。 その人物は、灯花の足元を一度だけ見てから、静かに顔を上げた。

閂
閂

見てしまったのですね

灯花はようやく息を吸った。 「あなたは……」 黒い装束の者は、深くはない礼をする。

閂
閂

ワタシは閂。おかえり様に仕える、迎え人です

迎え人。 その言葉の意味を、灯花はすぐには理解できなかった。 灯花は振り返る。 バスの扉は、まだ開いていた。 帰れるのかもしれない。 そう思った瞬間、胸の奥がひどく揺れた。 帰るつもりはなかった。 外に戻ったところで、何も変わらない。 誰も自分を待っていないかもしれない。 それでも、この霧の奥へ進むのは怖い。 灯花が迷っている間に、バスの扉が閉まりはじめた。

「あ……」 声を漏らした時には、もう遅かった。 バスはゆっくりと動き出す。 行き先表示の「帰り」という文字が、霧に滲んで遠ざかっていく。 灯花は追いかけることもできず、ただ見ていた。 帰るつもりはなかった。 けれど、帰れるかもしれないものが目の前から消えていくと、胸の奥が冷たくなる。 やがてバスは、霧の中へ音もなく沈んでいった。 灯花は、しばらくその場から動けなかった。 「今の、乗れば……」 閂は答えない。 ただ、鈴が小さく鳴る。

閂
閂

一度迎えられた方に、帰り道はすぐには開きません

「迎えられた……?」 灯花は振り返る。 閂は、灯花をまっすぐ見ていた。

閂
閂

まだ『ただいま』とは返していない。 けれど、おかえり様を見て、ワタシの声を聞き、ここに留まることを選ばれた

「選んだつもりなんて……」 灯花の声は、霧に溶けた。 ただ、迷っていただけだった。 どこへ行けばいいのか分からなくて、足が動かなかっただけだった。 閂は静かに続ける。

閂
閂

保留もまた、ひとつの応えです

霧の奥で、白い影が微笑んだような気がした。 閂は改めて、集落へ続く道を示す。 そこには、さっきまでなかったはずの細い道が続いていた。

閂
閂

こちらへ。霧が深くなる前に、集落へご案内します

灯花は一歩踏み出しかけて、足を止める。 帰るつもりはなかった。 けれど、知らない場所へ連れて行かれるのは怖い。 その迷いを見透かしたように、閂は静かに言った。

閂
閂

ひとつだけ、覚えておいてください

鈴が、かすかに鳴る。

閂
閂

誰かに『おかえり』と言われても、『ただいま』とは返さないでください